成瀬映画に登場する風景


NEW 2025.1.14

『秀子の車掌さん』A(1941年)南旺映画


現在、YouTube「旧作日本映画ロケ地チャンネル」で本作を作成中。
その調査の一つとして、
井伏鱒二原作の「おこまさん」を読んでみた。
:「井伏鱒二全集 第8巻 おこまさん(P467-P513) 筑摩書房 1997」

全体的なストーリーはもちろん本作と変わらない。
バスの車掌・おこま(映画=高峰秀子)、運転手・園田(映画=藤原鶏太)、小説家・井川(映画-夏川大二郎)、
バス会社・社長(映画=勝見廉太郎)などの登場人物も一緒。

しかし、原作と映画とは異なる箇所も多々ある。
以下、
大きく異なる箇所を簡潔に記述する。映画は俳優名。


(1)小説家・井川

映画では夏川大二郎は旅館(東洋舘)に泊まっていて、文案をすでに依頼した高峰秀子と藤原鶏太が訪ねて来る。
部屋で夏川大二郎が作成済みの名所案内原稿を女性の口調で読み上げ、高峰にも原稿を読み上げさせ、
リズム、口調などいくつかアドバイスをする。

ここは原作もほぼ同様で、台詞も原作の一部がそのまま使われている。
ただし原作のこの箇所はかなり長い。その結果、小説家・井川の人物像はより深く描写されている。
映画のこの3人は、原作のイメージとピッタリのように感じる。先に映画を観ているからかもしれないが・・・

 

 

以下は異なる箇所
◆映画=その後高峰、藤原は社長から渡された原稿料を宿に持参し、
 夏川はその場で受け取る→「原稿料はいらない」と言っていたのに(笑)。
 高峰の名所案内を聞いてチェックをしたいと言い、翌日バスに乗る。
 子供が突然道に飛び出してきてバスが麦畑に落ちて、高峰が軽いけがをする。
 その後病院から包帯姿で出てきて、夏川は高峰、藤原と一緒にバス会社社長と会う。
 その後(翌日?)、東京へ戻る夏川の乗った汽車を、踏切で見送る高峰と藤原。

◇小説=原稿料を届けに旅館に行くと、小説家=井川権二(井伏鱒二のもじり?)は
 東京に戻るのですでに駅に向っているとのこと。
 おこまと園田は駅(おそらく甲府駅)に向かい、駅のホームで井川と会い原稿料を渡す。
 井川はおこまに名刺を渡し(東京市杉並区方南町29 井川権二)、「名所案内をやるようになったら手紙をくれ。
 見に来るから」と話す。
 バスは雨や雪、峠頂上あたりの道路が崩れているため3か月にわたって運転休止して、
 (映画では平坦な道を走っていて事故以外で運転休止はない)その間
 おこまは下宿している金物屋(これは映画にも登場)の店番と女中、園田は市場の青物店へ手伝い
 と二人とも副業をする。
 バスの運転開始が決まり、おこまは井川に速達で手紙を出すと、
 翌日井川から電報が来て明日の朝バスに乗るとある。
 再会してバスの一番前に乗った井川。途中で事故がおこるのは映画と同じ。
 怪我をしたおこまは入院する。
 井川はバス会社社長と電話で話し(ここは映画と同様)、その後、園田と事故現場に行き
 保険会社の現場調査の社員(映画には出てこない)と会話する。
 現場調査員の物言いに腹を立てて、その場を立ち去る井川。
 バスには保険金が降り(井川の証言が決め手となる)、バスの修繕も済んだ。おこまも退院する。
 おこまは井川に「バスの再運転について」電報を打つと、再度甲府(甲府駅に着くと記述)に出向き
 同じ甲府市内の東洋舘に宿をとり、翌日園田、おこまと再会してバスに乗る。

 映画では井川は数日間の滞在だが、小説では3度甲府にやって来る。ここが一番の違い。
 
→いくら名所案内の文案を作成したとしても、それを聞くためだけに一度戻った東京から
  甲府に2度出向くという小説の展開は、個人的にリアリティの面で疑問があった。
  上映時間の制約もあったのだろうが、映画のように、数日間にまとめた方が自然の流れに感じた。
  脚色=成瀬巳喜男のなせる技である。成瀬監督は脚本家としても一流だということがわかる。
  駅ではなく踏切で手を振って見送りする演出も、より映画的(動きや構図など)で優れている。


(2)小説にはなく映画の演出場面

・バス会社・社長(勝見廉太郎)はかき氷にラムネをかけて飲むのが好物だが、小説にはその描写は無い。
・前半、靴を下駄に履き替えるために実家近くにバスをとめてもらう場面も原作には無い。
・最後、新しくなったバスがすでに別のバス会社に売られて、勤務するバス会社自体も無くなるという
 ペシミスティックな展開は映画も小説も同じ。

これ以外にも細かい点ではいくつか違いがある。
「おこまさん」は短篇だが、読んでいて気持ちのいいとてもいい作品だった。
特に、小説家の井川は、映画よりもより詳細に描写されていてとても好感のもてる魅力的な人物として描かれている。


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